親父のような読者のために
──『資本論』の言葉や論理を噛み砕いてわかりやすく説明している点は、読者にとってはありがたい親切な工夫ですが、書き手の談慶さんにとっては大変な作業だったのでは?
談慶 この本は、ある意味で親父の敵(かたき)討ちみたいなところがあるんです。
うちの親父は、14歳で高等小学校を卒業してから上の学校には行けず、地元の中小企業に勤めて40年以上、家族のために働き続けました。その給料と退職金で大学まで私と弟の学費を出し、家のローンも完済した。
ところが親父は激務を重ねるうち、ある時期から喘息や呼吸困難の症状が出るようになりました。おそらく仕事で扱ってきた溶剤のせいで、要するに公害病ですね。結局、83歳で亡くなるまでずっとその病気を背負い続けました。
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昭和の象徴みたいな人生ですよ。高度経済成長のおかげで稼いだ、つまり資本主義の恩恵を受けたものの、同時にその負の面である公害病に苦しんだ。本当に資本主義の論理に翻弄されたのだと思います。
「好きにやれや」が口癖で、私が就職したワコールを3年で辞めて落語界に飛び込んだときも、何も言わずに許してくれました。本当に寛大な父親だったのですが、それは私が生まれる前に、最初の男の子、つまり私の兄を1歳2ヵ月で亡くしていたせいなのかもしれません。
本でも紹介していますが、商家に奉公して必死に働く若者とその両親が登場する「薮入り」という落語があります。明治後半から大正期、つまり日本の資本主義が成長していく時期に成立した噺で、これに出てくる頑固で実直、子供思いの父親のキャラが、うちの親父とよく似ていましてね。だから私は「薮入り」を高座にかけるとき、この父親を、最初の子供を亡くしたという設定にしているんです。
『資本論』は難しいと言われがちです。本当は難しくないんですが、なぜそう見えるのかというと、労働者が戦う上で、難しそうでもあれだけ強く確固とした言葉と論理を武器にしなければ、資本主義にすぐに呑み込まれてしまうからではないか。逆に見れば、それだけ怖いシステムが資本主義というものではないか。そう思うんです。
だから、親父のように学校を出ていない人たちにもわかってもらい、この資本主義社会で懸命に働き、生きるためのヒント、武器にしてもらえればと考えて、書き方を工夫したわけです。もちろん、落語を知らない人にもわかる本になっているはずです。これを書くことで、何か、苦労を重ねた親父の敵を討ってやりたいという感覚もあったんですね。もう、亡くなった親父の武器にはしてあげられないけれど。